過食嘔吐が治った**あなたは私の日向です** -5ページ目

雪が

降ってきました。

積もってきています。

今日は5月7日なんですけど・・・

ラストチャンス

人の死というのは

本当に突然だ。


先日

以前バイトしていた店の常連のお客さんが亡くなったので

お通夜に行ってきた。

まだ44歳であった。

とても楽しく優しいお客さんで、

年配の常連客が多い中

若くしてもう10年以上も通う常連さんの一人である。

多い時は週に2~3回、少なくとも2週間に1回は顔を出す。

特定の女の子を気に入って来るというわけではなく、

店の雰囲気が好きなのだろう

どの女の子がついても喜んでくれて、彼の所はいつも明るく楽しい席だった。

私だけではなく、他の女の子たちも彼に対して恋愛感情を持って接したことは

ないと思うけれど、人としてみんな彼が大好きであった。

私は一度も彼が怒った姿を見たことがないが、

他の従業員に聞けば私が辞めてから一度だけあるのだという。

それは彼が接待で連れて来たお客さんの一人が、

自分の気に入った女の子が席に来ないことに腹を立てて

ママに文句を言った時である。

彼はそのお客を、店の中では迷惑がかかると店の外に連れて行き、

「俺の好きな この店を悪く言うのはやめてくれませんか」と怒ったというのだ。

彼はそれほどうちの店が好きだった。

一週間前にも店にのみに来たばかりで、

その日の夜も部下の昇進祝いを店でやる予定だったというのに

突然亡くなってしまった。

急性心筋梗塞で。

親しい友人の話によると、

彼は朝からパチンコをしていて

しばらくして急に心臓が苦しくなって

トイレで休もうと個室に入ってカギをかけてしまったために

そのまま閉店まで誰にも気づかれずに亡くなってしまったというのだ。


私がまだ店で働いている頃、彼は朝野球をしていると言っていた。

多少お酒を飲みすぎる日はあるものの、

身体のどこかが悪いなんて話は7年の付き合いの中で一度も聞いたことがない。

だから訃報を聞いた時は本当に驚いた。

信じられなかった。

「死」という言葉が一番似合わないお客さんだと思っていたから。


私が勤めていた店では、お客さんの誰かが亡くなると、

たいていはママ一人かそのお客さんのお気に入りの子一人がお通夜へ行き香典を届ける。

だけど今回ばかりは違った。

訃報を聞いたママはショックで店を臨時休業にした。

お通夜には私を含めて店の従業員が8人も出席した。

飾ってある写真を見ても彼が亡くなったとはとても信じられなかったが、

私は彼が店でよく歌っていた歌声が頭から離れず涙が止まらなかった。

隣を見るとママが泣いていた。

私はママの涙を初めて見た。


彼は某大会社の支店の所長さんだった。

上司にかわいがられ、部下に慕われる人柄であっても

仕事のストレスは相当なものであったと思う。

彼はそのストレスを大好きなパチンコと、

うちの店にお酒を飲みにくることで発散していた。

奥さんや息子にしてみたら

夜いつも家にいないお父さんだったのかもしれないが・・・


彼が最近はまっていたパチンコ台は

大ヤマト2

という台だったという。

私はやったことがないのでわからないが

音と光がすごいそうである。

そして上限がないので3000回転しても出ない時は出ないそうだ。

だから1日で38万円勝つ日もあれば、

20万円負ける日もあったという。



看護婦の妹に聞いたら、

彼の症状は

エコノミ-クラス症候群みたいな感じだったんじゃないかという。

確かに、狭い所に何時間も同じ体勢で座っているのは

飛行機もパチンコ屋も一緒だ。

運悪く発作が起きてしまったけれど、

発見が早ければ助かったかもしれない。


どこも悪くなかった彼は

早すぎる自分の死を受け入れられただろうか。

もしかしたら今も、

自分が亡くなったことに気づかずにいるかもしれない。


店をやめて8ヶ月。

私は来週久々に、1日だけ出勤することにした。

ママがみんなで彼のお別れ会をしようといったからだ。

「きっと彼はうちの店にきている。

彼がいつも座っていたあの席で、

彼といつも一緒に来ていた仲間たちと

楽しく飲んで騒いで彼を送ってあげよう」と。

私は泣かずに送れるだろうか。

私もママも他の子も、

ただのお客さんと従業員の間柄と言ったって、

ママにしてみれば15年、私にしてみても7年間も

毎週のようにお酒を飲んだ友達のようなものだ。


私の頭の中には

私が店を辞める日に

彼が歌ってくれた

サムエルの「ラストチャンス」が響いている。


give me a chance

 

最後に賭けてみたいんだ

once more chance

 

僕は確かめてみたいんだ

目を閉じれば 

みんなの声が聞こえてくる

give me a chance 

 願いを形にできるように

この声が君に届くように

素晴らしい明日になるように  


斉ちゃん

ありがとう。

みんな斉ちゃんのこと忘れないよ。
だからどうか安らかに。

いつでもまた店に遊びに来てね。



異性の親友

私には

親友と呼べる男友達が数人いる。

みんなとっても大事な人だ。

中でも高校時代に出会った3人組(?)は

いろんな意味で私を支えてくれた。


彼らはもともと

私が高校一年生の時につきあっていて別れてもずっと好きだった人の部活仲間で、

同じクラスになったり、

彼女のことを相談にのったり、

ケンカをしたりしているうちに

それぞれがかけがえのない存在になっていった。

彼らは3人とも魅力的な男の子で、

それなりにモテていた。

ただ、私は他の人に夢中だったので、

彼らがどんなにイイ男でも、

恋愛対象として見たことがなかった。

逆にそのお陰で、

彼らにとって私は一緒に居て楽な女友達から

異性で一番の友達となっていったのだろう。


卒業後、3人はそれぞれ離れた大学へ進学してしまったので

年に数回しか会えなかったが、

手紙をくれたり、電話をくれたりして、

地元に帰った際には必ず会いにきてくれた。

彼らにとって私は、女ではなく、

弱音をはける大切な男友達の一人であったようだ。

(その中の二人は高校3年の秋に同時期に告白してきて、

私をひどく悩ませたこともあったというのに、

そんな気持ちもすっかり忘れているのか

全くもって失礼な話だ。(笑)そのうちの一人が今の彼ですが・・・)

そんな私たちだから、

もし、二人きりでお酒を飲んで酔っ払って一緒に寝ていても

間違いがおこらない自信があった。

もちろん実際に何度もそんな状況あったけど

間違いは起こっていない。


それぞれの生活はバラバラなので

一人ずつや、二人ずつで

遊びに来たり

相談にきたり

お酒を飲みに行ったりすることはあっても、

高校以来3人が揃って私に会いに来てくれることはなかった。

それがある時 何年ぶりかに3人揃ったのだ。


その頃既に過食嘔吐がひどくなっていた私は

その日の夜も早い時間から過食していた。

しかし見たいドラマがあって、

ドラマを見ながら過食して嘔吐したらすぐに寝られるようにと

一旦過食を中断してお風呂に入ったのだった。


お風呂に入っている時チャイムが鳴った。

男の子の声がする。

恐る恐る裸のままドアスコ-プをのぞいてみた。

奴らが3人で笑って立っている!!!

久々の再会だったのだが、あまりにも突然すぎて、

私はドアを開けずに

「いきなり何しにきたの!今お風呂に入ってるんだから入れてあげないよ!」と怒った。


「いやぁせっかく3人揃ったからさ、お前に会いに行こう!ってことになってさ」

「久々に4人で飲もうぜ」

( ̄ー ̄)v ( ̄ー ̄)v ( ̄ー ̄)v と3人。


私はさっきまで過食をしていたのだから

もちろん誰にも会いたくない。


「今誰にも会いたくない気分だから帰って!!」と私が怒ると、


しばらくだまる3人。


すると、


ガコン ガコン ガコン 


何かが落ちた音がした。


?と思っていると、


「大変だぁぁ~手が滑って携帯電話がお前の部屋のドアについてる郵便受けに落ちちゃったぁぁ~

この郵便受け内側からしか開かないんだよなぁ 困ったなぁ・・・」

「携帯電話がないと家に帰れないよぉぉ~」

郵便受けを開けてみた。


Σ( ̄ロ ̄lll) 

携帯電話が3台入っている。


「あんた達なんでそんなにバカなの!!!」

怒っていた私は3人のあまりのバカさにあきれてつい笑ってしまった。


「今お風呂からあがって片付けるから15分待ってて!!」


「えぇぇ~ 別にいまさらお前の風呂上り姿見たって興奮なんかしないよ~」

「うるさい!!!車で待ってなさい!!!」


「はぁ~い(^O^)/(^O^)/(^O^)/」


お風呂からあがり、食べかけのお菓子やパンやそこら辺にちらかっているものを

全部ゴミ袋に詰め、とりあえずクロ-ゼットに隠す。

髪が半乾きのままヤツらの待つ車へ向った。


「酒買いにいこう!!!」

お酒やつまみやお菓子を大量に買い込んだ。


実は3人のうち一人は今の彼氏で、

彼とは3人が来る数ヶ月前に、

私が「彼女に悪いからもう二人で会わない。連絡してこないで!!」と言ったきり

だったので、気まずいままだった。

でも他の二人は全く気づいていないようだったので

(気づかないふりをしていたのかも)

何とかごまかして明るく振舞っていた。

買い物している時、その彼と二人になったのでそっと聞いてみると、

彼も、私に会いに来るつもりは無かったらしいが、

「偶然3人が同じ日に帰ってきて、

連絡を取り合ったら、突然会いに行ってお前を驚かそうって話しになって、

断るのもおかしいと思ったから来た」

と言っていた。

それはもっともな理由だったので

私たちは自然にふるまうことにしたのだった。


あと10日ほどで彼らはそれぞれの道へ就職が決まっている。

今以上に離れ離れになって、4人で会うのはこれが最後かもしれない。

私は少し寂しくなったが、

今日を思いっきり楽しもうと思った。


私の家に帰り、お酒を飲みながらいろんな話をたくさんした。

ほとんどが高校の頃の思い出話だったけど、

本当に楽しかった。

何年ぶりかに

笑いすぎて泣いた。

声がかれるほど笑った。


過食嘔吐になった私は

笑い方を忘れてしまっていた。

私をそんなに知らない人からは、

いつも笑顔がよいと褒められた。

私の笑っている顔を見るとこっちまで楽しくなると・・・

私にはわからなかった。

楽しくなくても笑い、

心から笑ってない嘘笑いだと自分でも自覚していたのに、

それが良いと言われるとは。

そしていつのまにかそれが普通になってしまっていた。

しかし気づく人は気づく。

高校時代からの女の子の親友が言った。

「鮎ちゃん、心から笑ってない」と。

3人の男の親友達のうちの一人が以前遊びに来た時に言った。

「みんながつられてつい笑っちゃうような

お前のバカ笑いはどうした?」と。

もう一人が言った。

「無理して笑うな」と。

そして

「そんなお前 辛くて見ていられない」と。


それでも私に染み付いた嘘笑いは治らなかった。


だからこの日

3人は本当は私を心配してきてくれたのだ。

一人では無理だけど3人揃えば何とかなるかもしれないと

きっとそれぞれが思っていた。

事実

3人が無理矢理にでもおしかけて来てくれたお陰で

私は数年ぶりに自分の本当の笑顔を取り戻した。


リモコン付きのカメラで

4人の写真をたくさん撮った。

カメラを机の上に固定し、

忘れた頃に誰かがカメラのシャッタ-ボタンを押す。

そこには私たちの自然な姿が写った。


酔っ払ってイタズラ心がわいたのか、

私がトイレへ行っている隙に

誰かが勝手にタンスをあけて

ブラジャ-を取り出したようで、

私がトイレから戻った時には

3人それぞれが頭にブラジャ-をつけて

ポ-ズをとっていた。

(普段なら絶対そんなことしないヤツまで・・・)


私は怒ったけど、

怒りながら

やっぱり大笑いしてしまった。


笑ってばっかりの夜だった。


それから数日後、

3人はそれぞれ旅立った。

私は一人 家で泣いた。

それまでだって

しょっちゅう会えていたわけでもないのに

ものすごく寂しくなった。

大事なものが無くなってしまった気がして

抜け殻になった。


だけど出来上がってきた写真を見たら

元気がでてきた。

私はどれも大口をあけて

超ブサイクな顔で笑っている。

でもそれが嬉しかった。

本当に心から笑っている顔だと思った。

 私はその中の一枚を車に貼ることにした。

バカみたいに笑っている写真を見ると

元気が出てきた。

その写真を毎日の支えにした。


それからしばらくして

3人のうちの一人から電話がきた。

そして言った。

俺はね、

本当はお前のこと 女として全く意識してなかったわけじゃないんだよ。

女として好きか嫌いかと言われれば好きだしね。

ただ、お前といたら楽で、楽しくて、

お前がいるから俺達3人は集まるんだろうし

今のこの関係を壊したくないから

手を出せなかったんだと思う。

これはきっと俺だけじゃなくて

他の二人も同じ気持ちだったと思うよ。

まぁ一人は、今お前のこと本気で好きみたいだけどね。(笑)

でも俺も

正直お前に彼氏はできて欲しくないと思ってたよ。

お前の彼氏になりたいとは思わないけどね。(笑)


私はずっと、

彼らにとって私は、女であっても女ではなく、

弱みを見せられる男友達の一人でしかないんだと思っていた。

私が彼らのことを大事にしているだけかと思っていた。

私の中で彼らの存在が大きいのと同じくらい

彼らの中でも私の存在が大きく、大事にしてくれていたのだと実感できた。


3年後、

3人のうちの一人は私の彼となり、

その彼と私が暮らす家に

他の2人が遊びに来た。

3年ぶりに揃った私たちは

少し大人になっていたけれど、

気持ちは何も変わっておらず

やっぱり大笑いした。


そして2人はおととし結婚した。

私と彼は相変わらずで一緒に暮らしている。

私も彼も、年に数回それぞれと連絡はとっているが

あれから4人揃うことはない。


だけど私の中で

4人の関係はずっと変わらない。

たとえ彼が私の恋人になっても、

ほかの二人が結婚して、一番に守るべき大切なものができたとしても、

私たちは変わらずに親友だ。


今度4人が揃うのはいつになるだろう。

たとえ私がおばさんになって

彼らがおじさんになってしまっても

また相も変わらずに4人で笑いあえる日が来ると信じている。

私はそれを励みに

これからも歩いていく。





続 小さいオッサンのこと

今日は水曜日。


無事に火曜日が終わった。


私は火曜日が怖い。


火曜日は嫌いではないし、


火曜以外の日も怖いけれど


でも一番火曜日が怖い。


火曜日は小さいオッサンの仕事が休みのことが多いらしい。


以前会社におしかけて来た時に


聞いてないけど教えてくれた。


考えてみれば


私の家の前に立っていたのも


会社に差し入れを持ってきたのも


どこから見ているのか


私が会社に一人だと知って


会社に電話をかけてきた時も


火曜日が多かった。


ある日の火曜日


(まだ前の住所の時に)会社へ来て

 

「何時に仕事終わるの?あと3時間?かわいそうに(;_;)

ヨシ! 僕が連れ出してあげる!一緒に帰ろう!」

 

腕をつかまれた。


意味がわからない。


ある日の火曜日


また会社へ来て


「お父さん○○さんて言うんだよね?(V^-°)」と

 

好きな人の身の回りのことを知って喜ぶ小学生のように

 

嬉しそうに言われても

 

私は怖くなるばかりだ。


オッサンは調べるのが好きみたいだ。


登記もすんでいない会社の新しい住所をすぐつきとめた。


電話帳にものせていない私の自宅アパ-トもつきとめた。


なぜか実家の住所や両親の名前を知っている。


彼のことも調べているかもしれない。


私は怖い。


彼と一緒にいるところに突然現れて


「そんな男につきまとわれているのかい?かわいそうに(;_;)

ヨシ! 僕が助けてあげる!」


と彼に何かしやしないかと。


無視しても無視しても


たまにメ-ルや電話がくるところを見ると


これからもまだ私の恐怖は続くのか。


私がメ-ルの返事をしたり


電話に出ないから


意地になっているだけなのか。


メ-ルの返事をして


電話に出れば


オッサンの気はすんで


私は恐怖から解放されるのか。


だけどオッサンはまた


勘違いしてしまうだろうか。


どうがんばっても勘違いしようもない私の言動で


今以上に思い込まれても困る。


直接会話したのはもう8か月以上も前のことになるが


あの時オッサンの目は


予備校の時のスト-カ-に比べたら


全然おかしくなってはいなかった。


ただ


怒っていた。


親でも


上司でも


友達でも


まして恋人でもないのに、


なぜ連絡をよこさない!と怒っていた。


勝手に私を気に入って


勝手に何でも調べて


おまけに勝手に私がオッサンのことを好きだと一人で勘違いしているだけなのに


怒っていた。


私はこれからどうするべきなのだろう。




前回の記事はコチラ↓

小さいおっさんのこと(プチスト-カ-)

過食嘔吐が治って取り戻した感覚 2

過食嘔吐が治った時

というより、

「治るかもしれない」と感じた

次の日の朝、


親友と二人で外に出て


一番最初に私が思ったこと


それは

空が青い


という当たり前のこと。


あぁなんてキレイな夏の空なんだろう

と思い、


ふと周りに目をやり、

そこに咲いている季節はずれのアジサイを見て


あぁなんてキレイな花なんだろう


と思った。


思わずそのアジサイをバックにして

親友に写真を撮ってもらった。笑


ノ-スリ-ブでも暑い真夏の太陽の下

気分は本当にすがすがしく

生まれ変わった気がしたことを

私はこれからも忘れずに生きていこうと思う。

過食嘔吐が毎晩になった夜

19歳4月

受験に失敗した私は

実家を出て就職先の近くで一人暮らしをはじめた。
就職先は病院。
女ばかりの職場とあって人間関係が不安だったが
私より半月早く入社した覚えの悪い同僚のお陰で
逆に私は「覚えが早い」と上司や先輩にかわいがられた。
専門学校へ行っていない私は
医療事務や薬の処方について何一つ知らなかったが
その日教えられた事はどんなに遅くなっても家に帰って必ず
ノ-トにまとめていた為人より早く身についたと思う。
それでも覚えることは毎日膨大だった。
落ち着いたらもう一度大学受験の勉強をしようと思っていたのに
そんな余裕は心にも身体にもなかった。


就職したばかりの頃
大学へ進学した予備校の友人や高校時代の友人が
代わる代わる訪ねてきてくれた。
みんな突然就職することになった私を

気の毒に思って励ましてくれた。
みんなの前ではとても元気そうにしていたが、

一人になると
「なぜ今私はこんなところにいるんだろう」
「私はこんなはずじゃない」

と思い落ち込んだ。


始めの頃はきちんとご飯を炊いていた。
実家でもよく作っていたので料理は得意だった。
でも慣れない仕事で疲れて帰って一人分の食事を作るのは面倒だった。

そんな頃彼ができた。
予備校生の秋からつきあっていた彼のことは
前の彼ほど好きになれなかったので
予備校卒業と同時に別れていた。
病院で看護婦さんや事務の先輩と恋愛の話になると

高校1年生の時初めてできた彼のことがずっと忘れられないと言っていた。
実際そうだと思っていた。
高校3年生の冬に、当時ケンカ友達だった男の子(今の彼です(=^^=) の

強い気持ちに負けてつきあい始めた時も

結局最初の彼が忘れられなくて別れた。
それくらい最初の彼のことが好きだと思っていたから
その彼と再会し、再びつきあうことになった時はとても幸せだろうと思っていた。
ずっと私の恋を応援してくれていた周りの友達や職場の先輩は
みんなとても喜んでくれた。
でも私はあまり嬉しくなかった。
あんなに好きだったのに。
会わなかった1年間で彼が高校時代と変わったとは思わなかったし
今まで見えなかった嫌なところが急に見えたわけでもない。
ずっと好きだったんだから嬉しいはずなのに嬉しくない。
むしろ会いたいとも思わない。
自分で自分の気持ちが理解できなかった。

彼は自衛隊で少し離れたところに住んでいたので
会いたい時にすぐ会えるわけではなかったが、
よく電話をくれて週末会いに行くと言ってくれた。
私はたいして会いたくなかったので用事があると断っていた。
疲れていたので時間があれば寝ていたかった。


今ならわかる。

私は彼のことが好きな自分が好きだったんだ。

彼のことが好きだった時期の自分が好きで、

その頃の自分に戻りたいと無意識に思っていたんだ。

彼のことが大好きだった高校生のときは

自分の将来に不安なんてなく、

夢は実現できると信じていた。

大好きな友達が毎日一緒にいて

泣いたり笑ったり忙しかった。

辛いこともあったけど、

それを忘れるくらい楽しいことのあった毎日を、

私は一人でいつまでも引きずってしまったのだ。

きっと彼をとおして、

毎日楽しく過ごす本当の自分の姿を夢見てしまっていたのだ。


彼ができても何も変わらなかった。

毎日

「こんなはずじゃない」と思い続けた私は

仕事以外で彼以外の人に会うのも面倒になった。

彼からの電話に出るのすら面倒になった。

ある晩仕事から帰った私は
ムショウに甘いものが食べたくなった。
夜9時を過ぎていて面倒だったけれど
衝動が抑えきれずに近所のス-パ-で
パン5個と甘いお菓子やスナック菓子など
1週間分はあると思われる量を
買い物袋いっぱい買った。
家に帰ってテレビを見ながら食べた。
1つのはずが止まらず、結局全部食べてしまった。
苦しくて動けなかった。
少したって

「ダメだ。吐こう」

と思った。
はじめて過食嘔吐した時と同様トイレへ行き、

手をつっこんで吐いた。
今度は一人だから、

吐けるだけ 気が済むまで吐いた。
涙で顔がむくんできた。
頭は重くなったけれど、胃が軽くなって楽になった。
「明日は何かいいことあればいいなぁ・・・」

と思いながら
目の腫れが少し落ち着くのを待って眠りについた。


次の日夕食を買いにデパ-トへ行った。
閉店間際でケ-キが半額になっていた。
「自分にご褒美」

として2日に分けて食べようと5個買った。
家に帰って夕食を食べてからケ-キを2つ食べた。
しばらくテレビを見ていると、
ふと急に

「ケ-キ2個も食べたから吐かなくちゃ」

と思った。
でもお腹にはまだまだゆとりがある。
もっと食べた方が楽に吐ける気がした。
「どうせ吐くんだから食べたいだけ食べて満足すれば
明日はそんなに食べたくならないかもしれない」

と思った。
「いつの間にか『太るかもしれない』って
食べたい気持ちを我慢してストレスになってたのかもしれないな。
よし今日は好きなものを好きなだけ食べよう!」

コンビニへ行き
食べてみたいと思っていたパンやお菓子やアイスを買った。
買っただけで少し満足した。
家に帰ってまず
残ってるケ-キ3個を食べた。
いくら甘いもの好きの私でも
甘いものばかりを食べ続けるのは大変だったので
しょっぱいスナック菓子を食べてみた。
1袋無くなる頃また甘いものが食べられる気になった。
好きなだけ食べて たまにお茶を飲んだ。
お腹が苦しくなった。
パンとお菓子が1個ずつ残った。
明日の昼間に食べようと思った。
トイレへ行って吐いた。
「明日の夜からダイエットしよう」と思った。


次の日の夜
少し少なめに夕食の買い物をした。
夕食をすませて見たくも無いテレビを見ていた。
今日は楽しみにしていた連ドラの日だなぁと ふと時計を見た。
8時35分


ドラマ開始まであと25分


何か食べたい。


でもせっかくダイエットしようって決めたし。


でも食べたい。


昨日のお菓子1つ食べちゃおうか。


食べてしまった。


8時45分


何で食べちゃったんだろう。
せっかくのダイエットが振り出しに戻った。
今日はもうダメだ。
ダイエットは明日からにしよう。


8時50分


急いでコンビニへ


昨日食べて美味しかったものが中心の買い物。


家に帰ってドラマを見ながら食べた。
前日と同じように甘いものがいらなくなってきたら
しょっぱい物を食べた。
そしてまた甘い物を食べた。


苦しくなって

トイレへ行って吐いた。


「明日からダイエットしよう」


思いながら眠りについた。


まさか次の日も次の日も同じことが起こるとは思いもしなかった。
夜の過食嘔吐が毎日の日課になった。
仕事はきちんとした。
仕事はそんなに嫌ではなかった。
もともと人と接するのが好きな私は受付にたつのが好きだった。
ただ

「小学校の先生になりたい。今の仕事は本当にやりたい事ではない」

「今の自分は本当の自分ではない」

と毎日思っていた。


夕食を買いに行った際に食べたい衝動にかられ大量に買ってしまう日もあれば
その時は我慢できて家に帰って一段落してから

食べたい衝動が抑えきれなくてまた買い物に出かける日もあった。
そのうち美味しくて気にいって毎日食べていたものが飽きてきた。
食べたいと思っていたお菓子やパンも何度か食べるうちに飽きてきた。
並んでいる商品を見て「美味しそう」と思ったものを選んで買って食べていたのに

「美味しそう」と思わなくなった。
選ぶとき
「これ食べてみたい」だったのが
「これでいいか」になった。


いつの日か
食べたい物を食べてしまって後悔して吐く
だったのが
お腹に物がある状態が嫌で吐くために食べる
になっていた。


そんな自分がとても嫌いだった。

でもどこかで自分を信じていた。
眠りにつくときは
「明日はこんなことにならない」と・・・



学童保育

私の夢は、

子供が自分の可能性をみつけられる

学校みたいなものをつくること。

しかし

毎日に流され、

教師の夢をあきらめつつある私には不可能な話だ。

私には資格がないし、

大学にも行ってないので子供に関わる何かをしようと思うと

ボランティアしかない。

以前から

自分に今ある時間で、放課後や土日に寂しい思いをしている

子供たちのために何かできることはないかと思い、

ネットで学童保育について調べていた。

私の住んでいる市では

ボランティア活動が恐ろしく少ない。

ネットで検索しても1件も出てこない。

今年に入り、市の広報誌にのっている別のボランティア活動の欄を見て

いちかばちか電話してみた。

すると市に生涯学習課というのがあって、

そこが学童保育を担当していると教えてくれた。

早速電話してみた。

市の職員:「学童保育?あぁうちでは放課後クラブっていう名前ついてるんだけどね、

ボランティアとか手伝いは必要ないわ。

市の職員で十分足りてるから。

うちではね、それぞれの小学校にある放課後クラブに、

市の職員が1名ずつ行ってね、

3時から5時までの間、子供達が遊んでるのを監視してるだけだから

それに、市の職員の都合がつかない時は放課後クラブ閉鎖してるから

とのこと。

\(- -;)オイオイ

放課後クラブに子供預ける両親から毎月それなりのお金とって、

使えない市の職員を放課後クラブにまわして高い給料払って

ただ監視してるだけって・・・

しかも市の職員の都合で閉鎖してるって・・・

しかも5時って終わるの早すぎるんじゃないか?

5時きっかりに仕事終わったとしたって

速攻迎えにこれたり家に帰っていられたりする親がいますか!

他の都市の学童保育とは比べ物にならないくらいレベルが低い。


うちの市だからどうせこんなことだろうとは思ったけど。

子供たちがかわいそうだ。

子供を預けるご両親の気持ちも踏みにじっている。

腹立たしい。

このレベルの低いうちの市で、

こんな私でもなにか子供たちのためにできることないのかな・・・


風邪という病名

久々に風邪をひきました。

そういえば「風邪」という病名はないんですよね。

正式には

今日の私はおそらく

急性咽喉頭炎でしょう。

病院で薬の処方をしてもらったらはっきりしますが。

 

そういえば私は、

病院に勤めはじめた時に驚いたことがあります。

それは

病名は薬を処方してから決まる

ということ。

私はてっきり

お医者さんが

「はいアナタは○○という病気ですよ。だから△△という薬のみなさいよ」

だと思っていたのですが、

違うんですね。

患者さんに症状を聞いて

それにあった薬を処方する。

そしてその薬を処方するために、

きまりごとである病名をつける。

たとえば

「ガスタ-」という胃のお薬を出すためには

「胃潰瘍」か「十二指腸潰瘍」という病名をつけなければならない。

とあるとすると

その患者さんに「ガスタ-」を処方する→

患者さんの病名が「胃潰瘍」もしくは「十ニ指腸潰瘍」となる。

たとえ「胃潰瘍」ではなく「急性胃炎」であったとしても、

お医者さんがその患者さんに「ガスタ-」が必要だと思えば処方し、

病名は「胃潰瘍」になるのである。

これは極端な話すぎるかもしれないけれど。

 

1つ年上の先輩が

カルテの病名欄に「肝機能障害疑い」と書かれて

自分が「肝炎」とでも診断されたかのごとく困惑して私に相談してきたことがあるけれど、

「風邪をひいた時などにする血液検査」につけなければならない病名が

「肝機能障害疑い」「肝機能障害」なだけですよ。

と教えてあげたらとても安心していた。

何も知らないで自分のカルテの病名欄を見てしまったら、

きっと恐ろしいと思う。

 

ケンカの後は・・・

このごろの彼とのケンカは、

日陰の身であったときには

想像もできないくらい幸せな内容なんだけど、

今の私は欲張りになってしまったのか、

昔を忘れてとても辛くなる。

日陰で辛かった5年間を、

完全に忘れてしまったわけではないけれど、

あの頃と比べたら数百倍も良い今の状況に慣れてしまって

ささいな事で私は怒る。

私が怒る内容は

彼が悪いこともあるけれど、

半分は私の勝手な不安による。

彼が私を想ってくれているのはわかるけれど、

ふと 愛情が足りないと感じてしまったり、

一緒にいるのにものすごく寂しくなってしまう。

それは多分5年の間に植え付けられた不安によるものだからと、

つきあい始めたばかりのときは

彼は理解していて、いつも自分が悪いと反省してくれていた。

私の信用を取り戻すのに、

最低でも私を傷つけた5年はかかると言っていた。

それでも時がたてば少しずつ忘れてしまうのだ。

3年たった今では

ケンカをしても

「こんなにお前のことを想っているのに、

これ以上他にどうすればいいのかわからない」

と怒る。

彼の気持ちは本当にわかる。

でも、

目の前にいてもふと寂しくなっちゃう時あるんです。

今すぐ愛情を実感したいと思う時あるんです。

別になにが欲しいわけではないのです。

何も言ってくれなくてもいいんです。

そういうときは

私の気持ちを察して

ただ抱きしめて欲しいわけです。

それだけで満足して気持ちが落ち着くことあるんです。

 

最近は

彼は私の不安が減ったとでも思っているのか

私の不安に気づかずに抱きしめてくれないときがあります。

ケンカをした後ならなお最悪で、

彼は自分のふがいなさに一人で落ち込んで

どうしたらいいのかわからなくなっています。

オ-イ(´△`)

でもそういうときはもう仕方ないので

私が妥協して

「あのぉ・・・ギュッてして欲しいんですけどぉ<( ̄^ ̄)>」

キレ気味に言います。

 

本当は

なるべくならそれは言わずして

察してほしいんだけど。

わがままなのかなぁ・・・ 

 

 

 

 

 

 

 

彼の子供・彼女の子供

もし彼に

前の彼女との間に子供がいたら

私はきっとその子を受け入れられない。

どんなに彼のことが好きでも、

いや、

彼のことが好きだからなおさら無理なのかもしれない。

 

自分以外の人との間にできた子供」

 

というのが許せない。

彼女が亡くなってしまったというなら別かもしれないけれど・・・

 

もしそれが

「彼と関係ない人の子供」ならきっと受け入れられる。

極端な話、

たとえばその子が

彼の元彼女の子供であっても、

子供の父親が彼ではない別の男の人であったなら

受け入れられると思う。

元彼女のことをものすごく怨んでいるなら話は変わってくるが、

とにかく

彼の子でさえなければいい。

 

たまに聞く、

たとえ元彼女(奥さん)との間にできた子供だとしても、

好きな人(彼)の子供であることには変わりない

なんて考え

私には絶対にできない。

 

彼に執着しすぎなんだろうか・・・

それとも私は心が狭いんだろうか・・・