過食嘔吐が治った**あなたは私の日向です** -8ページ目

ピンポン玉の人

高校時代
片道1時間かけて列車通学していました。
その頃に出会ったおかしな人 第2弾。
列車の入口付近に座り(ボックス席じゃない)
居眠りしていた私。
話し声がうるさくて目を覚ましたら
今でいうアキバ系の方が二人、
私の前のつり革につかまってお話中。
会話の内容は聞き取れませんでしたが
一人がおもむろに紙袋に手を入れ
ガサゴソしたかと思うと
白い丸い物を、
3本の指(一指し・中・薬指)にはめた手を袋から出し
つり革につかまりました。
おそるおそる見ると
白い丸いものは卓球で使うピンポン玉。
ちゃんと「TSP」(卓球ラケット等のメ-カ-ですよね?)
って書いてありました。
それに穴をあけて指にはめている・・・
ピンポンの人の連れは
全く気にした様子もない。
意味がわからない・・・

たまたまその日友達は居らず
乗客も少なかったので
誰にも助けを求めることができず
私は一人でかなり悩みました。
その頃何か流行っていたのでしょうか?

私は見た瞬間
志村けんが「カトちゃんケンちゃんゴキゲンテレビ」でやっていた
「マツタケ」の化け物の指を思い出しましたが・・・



眉毛おばさん

高校生の頃
片道1時間の列車通学をしていた。
変な人がいっぱいいた。
一番強烈だったのは
眉毛おばさん。
そのおばさんは
大正時代風の赤いドレスを着ていて
頭を黒柳徹子の小さめな感じで結い
きちんとお化粧をしている。
茶色のペンシルで眉毛を書いている。
が、
それがおかしい。
何がおかしいって眉毛の書き方(長さ)がおかしい。
おばさんは眉毛の線を
こめかみまでのばし、
そこでくるっと一回転させ(小さな○を書き)
さらにその線は頬骨と耳の間くらいまでのびている。
一応眉毛としてのこだわりなのか
線は滑らかな曲線で
先へ行くにしたがって細くなっている。
最初に見た時は
数本の髪の毛の束が
顔にはりついているのだと思った。
私は何度も見直したが錯覚では無かった。
やっぱり眉だった。
意味がわからない・・・
眉毛なんだから
そこまで書きのばす必要も
こめかみで一回転させる必要もないと思う。
 
数日後
おばさんの書き眉毛は
あごにまで達していた。
やっぱり
意味がわからない・・・







蛾 ガ ga !

私は蛾が嫌いです。

幼稚園や小学校低学年までは平気でした。

蝶々も手でつかめました。

今は・・・

蛾はもちろん 蝶々も手でつかめません。

でも蝶なら自分の周りを飛んでいても逃げはしませんが。

蛾なら半径2メ-トルの距離に近づいたら私は逃げます。

陸部ダッシュで・・・(遅いけど)

蛾は急に下降したり予測不能の飛行をするので目が離せません。

壁にへばりつくあの姿も恐ろしい。

ある時
大きな蛾に止まられて
気絶しました。

キャンプの時
キャンプ場に着いて真っ先にすること・・・
トイレの窓に内側と外側から殺虫剤をまくこと。
キャンプ場のトイレは蛾が多い!!
昼はいなくても夜はひどい!!
だから気休めですが殺虫剤まいときます。

夜外でバ-ベキュ-の時
蛾が気になって
普段の3分の1も食べられません!(ヒロシです)

高校の理科の教科書に
胴の太い蛾の写真がアップで載っていて
(1ペ-ジが一匹の蛾のアップですよ!信じられない)
ホチキスでとめてそのペ-ジを開けなくしました。(ヒロシです)

数年前の夏
一人暮らしのアパ-トの廊下(屋内)で
こげ茶色地に白い大きな水玉模様の大きな蛾が異常発生し
(思い出しただけで鳥肌が・・・)
壁に
まるでコピ-かのように10匹以上点在していて
怖くて自分の部屋の入口までたどりつけず、
管理人に電話して駆除にきてくれるまでの3日間
車で1時間離れた実家から仕事に通いました。

実家は田舎です。
夜に蛾が入り込んでくる時があります。
私たち3姉妹はそろって蛾が大嫌いです。
部屋に蛾が侵入してくるとわれ先にと逃げます。
でも後で退治しないといつまでも部屋に戻れないと気づき退治作戦をたてます。
じゃんけんで
1.蛾の現在位置を確認し追い込む役
2.蛾を蝿タタキや雑誌でたたく役
3.死んだ蛾を何枚にも重ねたティッシュでつかんでゴミ箱に捨てる役

を決めます。
私達が一番嫌なのは 1の追い込み役です。
一度部屋から出てしまうと蛾を見失います。
飛んでいるか目で見える離れたところにとまっていればいいのですが
ぐるりと部屋を見渡し見当たらない時は最悪です。
雑誌や物を壁にぶつけて蛾が反応して飛ぶようにしむけます。
いつどこから出てくるのかわからないのでかなりビビリます。

なぜこんなにも蛾が嫌いになったのかはわかりません。
ある時から突然嫌いなんです。
蛾のせいで夏があまり好きじゃなくなりました。
もうどうしようもありません。
この世から蛾がいなくなってくれないかなぁと本気で思っています。

でもおかしなことに
私は蝶柄や蝶のモチ-フがついたカワイイものが大好きです。
服やスカ-トやバックやアクセサリ-私の持ち物は蝶がいっぱいです。
私の周りでは蝶グッズと言えば私・・・くらいに
私の蝶柄好きは有名です。
彼も私の蝶好きを知って
プレゼントはいつも
アナスイです。
でも蝶柄や蝶のモチ-フって羽を広げた形がほとんどですよね。

羽をひろげてとまるのは

蝶ではなく

蛾ですから!!!


残念!!!

小さいオッサンのこと(プチスト-カ-)

病んでいるのは

私なのか

オッサンなのか・・・

昨年春頃から

小さくてハゲたオッサンに

つきまとわれている。

と思う。

まったく知らない人ではありません。

名前と会社名と電話番号とメ-ルアドレスを知っています。

奥さんと、私と同じ歳になるという息子がいるという

ごく普通の会社勤めのオッサンです。

オッサンは 思い込みが激しい人です。

私はオッサンを 好きだと言ったことも

逆に嫌いだと言ったこともありません。

迷惑だと言って怒ったことは何度かあります。

私のどんな言葉で勘違いしたのかわかりません。

それ以前に

勘違いされるような言葉を発した記憶がありません。

それなのに オッサンは以前

「僕がもう少し若ければ
君と結婚して
君を守ってあげられるのに
ごめんね」


と言いました。

私は怖くなりました。

ごめんねと言われる意味がわかりません。

誰も望んでません。

電話をかけてきたり

顔が見たいと差し入れを持って会社にきたり。

あなたに何かをもらう筋合いはない。

僕が勝手に贈りたいだけ・・・ というのもわからない。

以前は会社が 誰でも出入できるような場所にあり、

どうにも防ぎようがなかったけど

会社が移転して 私の顔が見れなくなったからと言って

私の家を調べて家の前に立っていたり

新しい会社を調べて会社の入口付近に車を停めて中を伺っていたり

私が携帯電話に出ないからと言って

会社に電話してきたりしないでほしい。

もう

オッサンからの電話やメ-ルを無視して

家の前に立っているオッサンを無視して

半年たつ。

あれからオッサンの顔は一度も見ていない。

でも無視しても

オッサンからは

月に2回くらい

メ-ルや電話がくる

別にオッサンがそこにいたって

何をされるわけでもないと思うけれど

自宅アパ-トに帰って

知らない車がとまっていると

オッサンじゃないかと怖くなる。

会社の前で見慣れない車が長い間路駐していると

オッサンじゃないかと怖くなる。

非通知でかけてきた電話が

オッサンじゃないかと怖くなる。



私は少し病んでいるかもしれない。

でも オッサンは もっとやんでいると思う。

早く目を覚ましてほしい。


遅い時間の食事

ここ2~3か月で

急に太ってきました。

もともと骨太で

体育会系がっしり体型の私。

運動をしなくなっても

お腹が出ていないことだけが救いだったのに

急に出てきました。

年齢のせいでしょうか?

気になって

筋トレなどの運動を始めました。

それでもお腹だけは一向にへこみません。

やはり食事の時間に問題があるのでしょうか。

夜の食事の時間は

彼の帰りが遅いので

毎日11時頃になります。

先に食べてていいと言われますが

一人で食べるのは寂しく

そうなると作るのがめんどうになります。

疲れて帰ってくる彼に

せめて温かい晩御飯を・・・

と思って毎日作ります。

それに二人で食べると

私の過食嘔吐の予防になります。

寝るのは12時半~1時です。

食べてすぐ寝てるようなもんです。

私の3倍食べる彼は

そんな生活でどんどん痩せていきます。

私だけが

太ります。

先にご飯食べることにしようかな。

でも

一日のうち睡眠以外で一緒にいられる時間は

2時間程度。

私が先に食事をしてしまったら

私も彼も心の休まる時間がありません。

何か良い方法はないのかな。

やっぱり彼が転職するしかないのかな。



むくわれない思いを押し殺す

過食嘔吐のきっかけは人それぞれかもしれないけれど

私は過食嘔吐の原因になるストレスは

もしかしたら

むくわれない思い

自分の気持ちを押し殺すこと

なんじゃないかと思う。

ちなみに私はその両方で

むくわれなかった思いに自分の気持ちを押し殺した事

小学校教師の夢
彼とのこと」。


小学校教師の夢は、
進みはじめたところを前触れもなく突然断たれた事がショックだった。
就職してもなお
「私はこんなはずじゃない」
「私の居場所はここじゃない」

と毎日思っていた。
それでも変に責任感の強い私は仕事を辞められなかった。
私がいなくなったらみんなが苦しむと思い
夢をあきらめようと努力した。

彼のことは、
彼には何年もつきあっている親公認の彼女がいて
どれだけ彼が私を思ってくれて私が彼を思っても
強がりな私は「彼女と別れて」と言えないどころか
「彼女と別れたらもう二度と会わない」と言ったりして
ずっと日陰の女として過ごした。
何度も連絡を絶つのを試みたが
何度も偶然会ったりして失敗に終わった。
自分から連絡できず、ただ彼から連絡がくるのを待つだけの5年間。
他に好きな人を作ろうとしてもだめだった。
彼はずるかった。
彼女のことも私のこともどちらも好きで、
ただはっきりしているのは「今一緒にいるのは彼女だけど
結婚してずっと一緒にいたいのはお前」だということだった。
私は5年間、彼のことを責めつつ
彼女への申し訳なさと
押し殺した自分の気持ちにおしつぶされて
身動きがとれなくなっていた。

私の場合、

過食嘔吐のきっかけは

突然夢が破れたことで

過食嘔吐が日常化したのは

自分の気持ちを押し殺して夢をあきらめようとした毎日のせいで

過食嘔吐がひどくなったのは

彼を自分だけのものにしたいという本当の気持ちを認めずに

押し殺した毎日のせいだと思う。


今でも小学校教師の夢は持っているが
忙しい毎日に流されて半ばあきらめている。
ボランティアでもいいから
こどもとふれあいたいと思っている。
現在の野望は
結婚して子供ができて自分の子供が少年団などに入ったとき
その少年団の指導員になってこども達とふれあうこと。
今はもう
夢をあきらめようとして自分の気持ちを押し殺すことはない。

そして彼とのこと。
彼は数年前 彼女と別れて現在私と婚約し同棲している。
普通なら私が彼女への後ろめたさで押しつぶされるところだが
押しつぶされずにすんだのには理由があった。
それは
彼らが親にそろそろ結婚しろと言われて二人で話し合ったとき
「好きだからこのままダラダラ付き合おうと思えばできるけど、
結婚するとなったらお互い相手は違う。今なら二人ともやりなおせる」
という結論がでたということ。
遠距離恋愛などを経て
二人ともお互い本当に大事な人がわかったと言った。
彼が私のところにきて、彼女に新しい恋人ができ
彼女はしばらくしてその恋人と結婚した。


1年後

私の過食嘔吐は治った。

でも不安が消えたわけじゃない。

特に彼とのことに関しては。

それでも

どんなに不安で辛いことがあっても

過食嘔吐が再発しないのは

今は自分の気持ちを押し殺す必要がなくなったからだと思う。


もう二度と

あの辛かった日々には

戻りたくない。


過食嘔吐のはじまり

センタ-試験に失敗し国立大を諦めるも、
私立大学の二期という狭き門を突破して夢に向って歩きはじめた私に
前触れもなく伝えられたその一報は今までで一番辛いものでした。
せっかく受かった私立大学の入学を泣く泣く辞退し
就職を決めた19歳の春
それは「小さな頃からの夢である小学校教師をあきらめる」という
生まれて初めての大きな挫折でした。
いつの時にも
「文武両道だ」
「心優しく面倒見の良いいい子だ」と
褒めそやされて自信を持っていた私には
なかなか受け止められない事実でした。
それまで小学校の教師という夢が叶わないかもしれないと思うことや、
自分が他の職業に就くことなど一度も想像したことはありませんでした。
だからなおさらこの挫折は私の心を蝕んでいったのでしょう。


冬のある晩

夕食を食べすぎたにもかかわらず、

いただき物のケ-キを3つも食べてしまった。

ただ食べ過ぎただけだった。

苦しくてしばらく動けなかったが、トイレへ行きたくなった。

トイレで吐き気をもよおし、下を向いたがなかなか吐けない。

楽になりたくて、手をつっ込んで無理矢理吐いた。

胃が軽くなるととても楽になった。

でも吐く時は苦しいし、ずっと下を向いているから頭に血がのぼり

さらに涙が出て、吐いた直後は目が腫れ顔がむくむ。

母と妹はトイレから出てきた私の顔を見て心配した。

食べ過ぎて吐いたことを伝えると「バカだねぇ」と笑っていた。

私も「もったいなかったわ」と笑った。

せっかく食べたのに吐いてしまって

親に申し訳ない気持ちになったし

食べ過ぎて吐くことなんてこの先絶対無いだろうと思った。

その頃の3ケ月間のことは

何が起こったかは鮮明に覚えていても

それが何月何日頃のことなのかは覚えていない。

自分が意識していたより

受験やスト-カ-の事がストレスになって溜まっていたのかもしれない。

今思い返してみても記憶が前後している感じで時間の感覚が確かではない。

周りから「怖いほど小さい頃からの出来事に関する記憶力良い」

と言われてきた私には信じられないことだ。

だから、再び食べて吐いたのが

受験が終わった直後なのか

挫折を経験した直後なのかはわからない。

大して食べたくもなかったのに夕食後お菓子をたくさん食べた夜があった。

その後、大して食べたくもなかったのにみかんをたくさん食べた。

以前吐いた時のようにお腹が苦しくなった。

ふと「このまま寝たら太る」と思った。

その頃私はそんなに食べてもいないのに

受験のストレスからか秋より太った気がしていた。

身長がそれなりにあり、骨や筋肉がしっかりしている私は、

少し痩せようが太ろうが見た目そんなに変わりなく「健康」に見える体型だった。

それでもやっぱりそれ以上太りたくはないと思った。

一度心が決まるともう吐くしかなかった。

前回と同じようにトイレへ行って吐いた。

「前回と今日はたまたま食べ過ぎただだけ。

明日はきっと食べ過ぎない」と思った。

1週間も過ぎたのだろうか。

気づけば食べ過ぎて吐くのが毎日の日課のようになっていた。

そんなに食べたくなくてもなぜか食べてしまう。

苦しくなるまでそれは止まらない。

ご飯一口も入らないくらい苦しくなったら

食べた事を後悔し始める。

「吐かなくちゃ」と思いたってトイレへ行く。

全部吐き出したいけど<br>無理に吐いていると家族にバレてしまうから

簡単に出せる分だけ吐く。

それでもトイレから出てきた私の顔を見た妹は

「姉ちゃんまた吐いたしょ」とあきれた顔をした。

吐くのは一日1回夜だけだった。

家族にバレないように一度ふとんに入って寝たふりをして

夜中に起きて吐いたりもした。

その頃撮った写真は体型は変わっていないのに

顔がむくんで目が少し吊り上がり、まるで別人のように見える。

始めのうち、父も母も

私の異常な食欲(たいして食べたいわけではないから

食欲とは言わないのかもしれない)を心配していたが、

毎日食べては吐いていることを知ると

「吐くなら食べなければいいのに」とあきれて怒った。

今考えるとまったくそのとおりだと思う。

せっかく食べたものを吐くなんて食べた意味がない。

食べたものだってタダじゃない。もったいない。

でも、なぜかその頃の私にはそんな当たり前の感覚が無くなっていた。

ただ、本当に食べたくて食べて「美味しい」と思う感覚はまだあった。

と思う。

父と犬

現在実家には3世代(おばぁちゃん、お母さん、息子)3匹の犬がいます。
3匹とも同じような顔をしています。
ある日実家に帰ったら息子犬の顔だけ凛々しくなっていました。
でも近づいてよく見ると凛々しいというより
明らかに
なんです。
眉毛とヒゲ 父が書いたらしいです。
理由は 「なんか貧相だったから」 とのこと。
貧相だからって・・・(汗)
母に聞くと、
「あらアンタ今まで気づかなかったの?
お父さんしょっちゅう書いてるよ。
まぁ夏はどろんこだから気づかないかもね」
とのこと。

私の過食嘔吐

私が過食症になったのは19歳です。
その時は「過食症」や「摂食障害」という言葉に関して
全く知識がなく
多分聞いたことさえありませんでした。
自分の意思でやり、
自分の意思でやめられる行動なのだと
信じて疑いませんでした。
食べすぎてしまった夜、
太りたくないという一心で吐いた事が
いつしかお腹に少しでも食べ物が入ると
吐かなくてはならないような衝動にかられ、
吐くために
パンやお菓子を大量に買いに行っては食べました。
今日で終わりにしようと毎日思いました。
でもだめでした。
毎日食べて吐いては
自分を責めました。
仕事をしていた為、
朝食を吐くことはなかったので
幸か不幸か体重が極端に増えることや減ることはなく
毎日顔をあわせる職場の人達には
全く気づかれませんでした。
ただ
少しずつ顔は変わりました。
トイレで吐いた直後は
涙で目が腫れます。
吐くときは
ずっと下を向いているので
全体的に顔がむくんだ感じになり
目もつり上がります。
吐いた直後に鏡を見ると
映っているのは
「私」ではなく「化け物」でした。
それでも時間がたつと腫れがひき
自分では元に戻ったように感じていました。
そんな錯覚があったからこそ
人前に出ていましたが
もし自分の顔の変化に気づいていたなら
きっと誰にも会えなくなっていたでしょう。
久しぶりに会う親友達は私の変化に気づき、
「心から笑っていない」と心配してくれましたが
結局最後まで私は
自分が壊れていることを
認めませんでした。

過食嘔吐は6年間続き私を苦しめました。


同じ症状を持つ親友の励ましや
話を聞いてもあきらめずに頑張ってくれた彼のお陰で
過食症が治って3年がたった今
不規則な夜の食事のせいで逆に太った私に、
まわりの皆は口をそろえて言います。
「急に綺麗になった」と。

私はおどけます。
「もともと綺麗なんです」と。

そして心のなかで
「過食嘔吐が治っただけなんだよ」と笑うのです。

過食嘔吐に費やしたお金

始めて計算機たたいてリアルな数字を見た。
何度見ても信じられない。
過食嘔吐をしていた時
毎日ス-パ-やコンビニで過食用の買い物して帰った。
衝動をぐっとこらえて買い物をせず帰宅しても
結局時間がたつと買い物に出かけてしまった。
毎日2000円~3000円使っていた。
生活費が足りないからと
年間スナック週2回アルバイトをした。
それでも毎月カツカツで
心にも体にも余裕なんてなかった。

過食嘔吐が治った今、
バイトは辞めたし
勤める会社も傾いているから
貯金なんかゼロでカツカツだけど
不思議と心には少し余裕がある。
ずっと現実逃避していたけど
治った今
勇気を出して計算機をたたいてみた。
呆然・・・
2500円×30日=75,000円
薄給なのに
一ヶ月7万5千円!
これじゃぁお金ないはずだ。
2500円×30日×12か月×6年間
単純計算したら・・・
えっ?540万?
計算間違えた!?
アレ?
ケタ間違えてない?
計算方法おかしいの?
何回やり直しても
5,400,000円これは事実?
吐くために食べた物が
ごひゃくよんじゅうまんえん!!!!

何が買えただろう。
今だから思える。
でも全然
実感がわかない。
まるで他人事のようだ。
本当にそんなに使ったんですか?
自分に聞いてみる。
わからない・・・
でも
毎日食べて吐いていたのは事実。
事実なんですね。